シンクロナイズドスイミングのコーチとして活躍する世界の井村雅代さんの本を読みました。「あなたが変わるまで、私はあきらめない〜努力する心の育て方〜」という本です。
わたしは本当に人間の力を信じています。人間、求めたら絶対に来る。求めたら子どもは絶対に来ます。
人間は、ひとりでできることには限界がある。でも「がんばれ。やれ」と言ってくれる人が付いていると思うだけで力になる。
今の親は、子どもを「甘やかしている」んじゃない。「損させている」んです。
まず、日本がおかしくなったきっかけは、幼稚園の子までつかまえて「個性の尊重」とか言いだしたことじゃないですか。「自主性の尊重」とかも言っていた。自主性の尊重?個性の尊重?何言うてんねん。幼稚園や小学生の子に自主性や個性なんてあるかいな。
確かに、ここまで愛情を持って子どもに期待し、がんばれと励まし、お前ならできる!と言い続けたらたくさんのことができるようになるだろうなぁと思いました(全員に跳び箱10段飛ばせる幼稚園とか、東大医学部に子どもたちを入れた佐藤ママも多分そんな感じ)。実際子どもの柔軟性や可能性というのは恐ろしいほど。
井村さんが言うところの「幼稚園生に個性などない」というのは、あまりに柔軟な子どもだから、適切に導くことでどんな子でも努力できる子に育つ(あるいはそれ以外の方向でもいかようにもなる)、というようなことだと思います。
これもまたその通りで、「それが当たり前」という基準を作って育てていけば、多分そうなる。
また「結果に期待する」というのと「姿勢やあり方、努力の仕方に期待する」というので意味合いが異なってくるとも思います。
でもな〜、なんかモヤっとするんですよね。
自分自身はなんというか非常にアドラー的に育てられていて、もちろんすごく悪いことをすれば叱られたけれど、良い成績をとったから、あるいは何かで表彰されたからといって特別褒められることはなく、「勉強しなさい」と言われたことも一切ありません。親からの愛情はたくさん感じていたけれど、「期待」というものを具体的な形で感じることが一切なかった。
だから、「誰かの期待に応えよう」というセンサーを発達させすぎることなく、「自分がやりたい」と思うことに純粋に向かって来られたように思うのです。もちろん、その過程には振り返れば大変なことや辛いこともいっぱいあったとは思いますが、自分がやりたいことをやっているだけなので、それを「大変」「辛い」とはあまり感じなかった。
大人になって、世の中の多くの人が「誰かの期待に応える」ということをモチベーションとして生きているということを初めて知り、本当に驚きました。もちろん、それはそれで本人がよければそれもよいと思いますが、そのせいで生き辛い思いをしている人に出会うと「自分の人生なのになんだかもったいないなぁ」と感じるのです。
だから「期待して、励まして、親の理想とする基準まで引き上げていく」というやり方がどうしてもしっくり来ない。とはいえ、ぼんやり見守っているだけだと「結果的に子どもに損をさせてしまう」という感じもすごくよくわかる。
人生を歩んでいく上での基本装備として、一見してやりたくないことも面白がってやれるという資質や努力する心は身につけてもらいたいのですが、それを「親の期待」という武器に頼らずにやりたい。
そういうことなのかもしれません。
けっこう難易度高いです(笑)
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