昨日の「君たちはどう生きるか」に影響を受けて、子どもともう一歩踏み込んで向き合ってみたいと思うようになりました。

やろうと思えば、ネタは毎日のように転がっています(笑)。

ちょうど昨日も、ソファでテレビを見ていた長女の横で、隣にある棚からおもちゃを取ろうとしていた次女がちょうど邪魔するような形になったとき、すかさず長女が「もう!!!そういうの、やめてくれる?!」と鋭く叫びました。

ちょっと気に食わないことがあると、長女がこうして次女を怒鳴りつけることはよくあり、都度都度「そんな言い方しないで」と言ってきたのですが、一向に変わる気配はありません(おかげで次女はパワハラに対するスルー力が異常に高まってるのですが)。

改めて考えてみると、私自身が彼女のそういうところに対して、向き合ってこなかったからではないか?という風に感じました。

そこで。

いつもなら、その場で言うだけだったのですが、昨日は少し踏み込んでみることにしました。

私「ねぇ、今、どんな気持ちで言ったの?」
長女「え?やな気持ち」
私「そっか、邪魔されたから嫌な気持ちがしたんだね」
長女「うん」
私「お母さんも、やな気持ちになった」
長女「・・・」
私「あのさ、今のって言いたくて言ったのかな?それともおもわず言っちゃったのかな?」
長女「・・・」
私「みらは本当はどうしたかったの?」
長女「・・・」
私「後で話した方がいい?」
長女「(首を横に振る)」
私「じゃあ、向こうの部屋で、二人で話そうか?」
長女「うん・・・」

(場所を変えました)

私「じゃあさ、今どんな気持ちなの?」
長女「・・・ヤッチマッターっていう感じ。後ちょっと怒ってる感じ」
私「そっか、ヤッチマッターって感じてるんだね。どうして?」
長女「う〜ん、りなに意地悪しちゃったから」
私「意地悪しちゃったからヤッチマッターって思ったんだね」
長女「うん」
私「じゃあ、本当はどうしたかったのかな?」
長女「う〜ん、どいてって優しく言う」
私「どいてって優しく言うの、いいね」
長女「うん」
私「最初の言い方って、10点満点で何点くらいだった?」
長女「0点」
私「厳しいね〜。じゃあ優しく言うのは何点?」
長女「7点かな」
私「えっ?7点なの??10点は何?」
長女「う〜ん、みらがどく、かな」
私「あ、そっか。りながおもちゃ取れるようにみらがどいてあげたら10点ってことね」
長女「そう」
私「へぇ〜。そりゃあ確かに10点だね」
長女「うん」
私「次に同じことがあったらどうしたい?」
長女「10点がいい」
私「そっか。そうなったらお母さんも嬉しいなぁ」

まず、このやり取りで一番心が動いたのは「ヤッチマッター」と言う風に彼女が捉えていた、ということでした。毎日のように繰り広げられているので、別に悪いと思ってないのかなと思っていましたが、そうでもなかったようです。

そして、何よりも。

今まで毎日のように繰り返されてきたことを、私が向き合わずに流していたということに愕然としました。

「何度言っても変わらない」と思ってたけど、それは私が向き合ってこなかったからだ・・・!!

という気づき。

もちろん、このやり取りがあったからといってすぐに変わるわけではないでしょう。翌朝も早速パパが自分の椅子でご飯を食べていたのを見て「もう!!そこ、みらの席だからどいて!!!」と怒ってました(笑)。

ただ、ひとつひとつ起きることに対して、まさに昨日の「君たちはどう生きるか」の一節のように、向き合っていくことが大切なのだと、そんな風に感じたのです。

いいことをいいことだとし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断をしてゆく時にも、また、君がいいと判断したことをやってゆく時にも、いつでも、君の胸からわきでてくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。

(漫画「君たちはどう生きるか」より)

変化は、きっと向き合い続けた先にある。

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