「子どもと向き合うシリーズ」に続いて「家族で向き合う」という瞬間が私たちにやってきました。

昨日の夕食どきのことでした。いきなり寒くなったせいか、私の体調が急に悪くなり、夫が買い物から夕食の準備から3人の子供をみながら全てやってくれていました。一人で3人の子どもを相手にして疲れていたところに、運悪く・・・長男が納豆のタレを自分で開けると言い張り、案の定びゃ〜っとぶちまけてしまいました。。。

ここで限界を超えてしまったのか、びっくりするほど長男に対して怒った夫。長男は、うまくいかなくて粗相にはなりましたが、ただ納豆のタレを開けたかっただけでいたずらしたわけでもなかったので、急に怒られて驚いて泣き出しました ><

まぁ、ここまでは、私がそうなることもあれば、夫がそうなることもあるし、自分の限界値超えるとそうなるよね・・・というようなよくある話だと思うのですが、びっくりしたのが長女です。

急に関係ないはずの長女が泣き出して、部屋に入っていきました。

こっちはこっちで夫は怒るし、長男は泣くしで、てんやわんやしていたので、「あれ?なんかさっき泣いてた?」くらいの感じで、後から気づいたのですが ^^;

そんなこんなで、長女が泣いていたことにちょっと落ち着いてから気づいたのですが、なぜ泣いていたのかがわからない。

で、向き合って気持ちを聞いてみようと思いました。

そうしたら、私がまったく想像もつかない理由で泣いていたことが判明したのです。

私「ねえ、さっきはどうして泣いていたの?」

長女「う〜ん、え〜と、あのね・・・あのね・・・」

私「・・・(ここが我慢のしどころ〜)」

長女「あのね」

私「うん」

長女「あのね」

私「うん」

長女「あのさ・・・イッセイくんのこともパパのことも大好きなのに、二人があんな風になっちゃったのが悲しかったの・・・」

私「?!え?自分のことじゃなくてイッセイとパパのことで泣いてたの?」

長女「そう」

私「そうだったんだ・・・」

長女「うん」

私「じゃあさ、二人は本当はどうしてたらよかったと思う?」

長女「イッセイ君は納豆のタレちゃんとパパに開けてもらってたらよかったと思う。パパは怒らないで優しくいえばよかったと思う」

私「そっか」

長女「・・・」

私「じゃあさ、みらがそれをパパとイッセイ君に伝えてみたらどうかな?」

長女「ひとりじゃ言えない・・・」

私「みらはさ、うちがどういう家族になったらいいと思う?」

長女「・・・優しい家族。あと、楽しい家族がいい」

私「そしたらさ、そういう家族になれるために、みらが勇気を出して伝えたらいいんじゃないかな?」

長女「・・・わかった」

そんなわけで、長女は長男とパパに自分の悲しかった気持ちを伝えることができたのでした。パパはちゃんとイッセイに謝ることができ、イッセイも「いいよ」と言ってくれて無事に仲直り。そして、そのあと、お互いにどんな気持ちなのかを話しました。

パパ「怒って恥ずかしい気持ちとみらとイッセイを悲しませてごめんねっていう気持ち」

長女「嬉しい!あとほっとした。それからみらのおかげで仲直りできたのが嬉しかった」

私「みらが勇気出して言えたのが嬉しかった。パパとイッセイが仲直りできてよかった」

次女「え〜?気持ちとかわかんない。どういう気持ちかわかんないから困ってる気持ち」

長男「???」

今回のことを通じて感じたのは2つ。

一つは、自分が怒られていなくても、誰かが怒られている姿を見たりするだけで、子どもは心を痛めているんだなということです。気づかないところで、たくさん傷つけてしまってきたんだなと思いました。

そして、もう一つは、「家族がどうありたいか?」という話は、もっと早くにみんなでできていたらよかったなぁということ。まさか長女の口から「優しい家族」という言葉が出て来ようとは・・・!ビー玉活動によって、だいぶ優しさを表現できるようにはなってきましたが、「お前が言う?!」とツッコミ入れたくなりました(笑)。が、大事なことは彼女の中に、そういう「想い」があったということであり、それが表に出てきたことにすごく意味があったと思うのです。

平時に「わたしたちはどういう家族でありたいのか?」を話しあってもいいと思いますし、こういう何かが起きた時こそ、それをきっかけにして「こういう家族でいたいよね」という共通認識をみんなで持てたら素敵だなと感じます。

それは、子どもが小さくても、十分に向き合って話せるテーマなのだということに、長女の涙が気づかせてくれました。


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