※政治的な内容を含むため、そういう話が嫌いな方、苦手な方はそっ閉じをお勧めします。

「月に1回死ぬ会」の第2回目。前田出さんのご紹介で、「流れる雲よ」という演劇を観に行きました。

あらすじとしては、太平洋戦争末期の鹿児島にある特攻基地にいる特攻隊員や整備兵の物語。そこに、現代の我々がラジオを通じて繋がってしまう、というお話です。

特攻隊員たちが「未来の日本」や「未来の子孫」のために、命を投げ出していく姿や心情。そして、その隊員たち同士、また隊員を取り巻く、恋人、母、上官、同僚たちとの関わりは、涙なくしては観られない。

そして、クライマックスのシーンで、特攻隊員の主人公が今の私たちにラジオを通じて問いかけます。

「今、日本はいい国ですか?」
と。

その未来からの答えを聞いて、主人公は終戦のまさにその日に、特攻して命を散らすのです。未来のラジオを聞いたことによって、今日、終戦するのを知ってるのに・・・!!!

私はこの劇を観て、純粋に彼らの生き様に感動する自分と、「いや、これダメだろ!!!!」と怒りでいっぱいになる自分と、葛藤に飲み込まれました。

え?キミが特攻したら、キミが死んじゃうことはもちろん、向こうの戦艦に乗ってる誰かの父親や、誰かの恋人や、誰かの息子も道連れに殺すってことだよね?それって、本当に「平和な未来のため」になるの???例えば、今世界で起きてるテロも、やってる人はおそらく「未来の子どもたち」のためと信じて命賭けてるんだと思うけど、それ、OKなんだっけ?

ダメじゃん!!!

より大きな目的のため、みたいな一見するとキレイな大義名分は人を殺す理由にならないよね?

もちろん、その当時、そうする以外の選択肢を持たず、良かれと思ってそうした人ばかりだということはわかる。ひとりひとりが自分にできることを信じて行動に移しただけだということもわかる。でも、それを観て「未来のために散っていった人は尊い」と本当に言えるのか?

私は正直、「あなたのために死にました」って言われても嬉しくないです。それよりは人を殺さないという選択をし、圧倒的大多数に飲み込まれることなく、みっともなくても逃げた人の勇気に尊さを感じるのです。

「流れる雲よ」は私の中にある、大きな感情を呼び醒しました。それは純粋な感動ではなかったけれど、むしろ「問い」を残してくれた分、私は今日のことを一生忘れないと思います。

公演は20日(日)まで。まだチケットが残っているそうですので、タイミングが合う方にはぜひ見ていただきたい。そして、未来と平和について、対話をしたいです。

私の中に生まれた「怒り」の正体は何だったのか?さらに深掘りしてみました