先日のエントリーで、「”ぬののふく”と”こんぼう”だけで草原に出てスライムと戦った経験を持っているかどうかの違い」について書きました。

改めて、自分自身が人生の早い段階で、ほぼ丸腰でスライムと戦った経験がいかに大切だったか?ということに気づかされました。翻って、自分の子供たちのことを考えるに、遅くとも大学時代までにはそういう経験をしたほうがいいな・・と思っています。昔から「可愛い子には旅をさせろ」ということわざがありますが、あながち的外れでもない。

でも、単に「厳しい環境に置けばいい」というのとは微妙に違う。

言語化するならば、
「自分で動かないとなにも始まらない環境」
「ゼロから価値を生み出す経験」

ということかなと思います。

そして、できれば自分が手に入れたい何かを手に入れるために、上記の経験や環境に望んで飛び込んでいけるのが一番いいんでしょうね。

そう考えると、うちの子たちを含めて、今の子供たちは「やるべきこと」やこなすべきタスクが与えられすぎているのかな?という気もします。

ゲームの比喩で言うならば、昔のRPGみたいな感じ。

「課題が与えられる→こなす→何かが進む」の繰り返し。

たしかにレベルアップはして行くけれど、そこに「創造」の余地はあまりない。

でも、今は昔のRPGのように与えられたものをこなして、シナリオを前進させていればなんとかなった時代から、もはやシナリオが存在しないから、どこに行って、何やってもいい。マイクラのクリエイティブモードみたいな感じに変わってきてる。リソースも、昔はひとつずつアイテムをゲットして、積み重ねて行く必要があったけれど、今はアイディアがあればリソースは割と簡単に手に入る。

だからこそ。

「こんなの創りたい!」「これやりたい!」という情熱がいちばん価値を持つ。

そんな感じがします。

そして、●●教室はじめ「創造力が身につきますよ」と言ってるものはたくさんあるけれど、あくまでも枠の中で何する?みたいな話であって、野性的で原始的な創造のパワーは「なにもない」ところからしか生まれない気がする。

そして、結局それって「あそび」に集約されるんですよね。

3人の子供たちが、なんか名前もついてない謎の遊びを発明して夢中になっているのを見るとそんな風に思います。

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