うちの会社は電話秘書さんが取ってくれてメールで要件を送ってくれるようになっています。

今朝方、こんな応対記録が。

「須子はるか様は、父の従兄弟のショウイチ様の娘さんでしょうか。●●電機にお勤めだったショウイチ様です。母の祖母の葬儀以来お会いしておりませんが、懐かしくてお電話しました」

折り返そうか迷ったのですが、なかなかこういうこともないだろうと思って、電話をしてみました。

すると、確かに父の従兄弟の息子さんにあたる方からのお電話だったのです。その方は、昔、私の父から勉強を教えてもらったことがあること、父が亡くなった時に仕事で葬儀に来ることができず心残りであったこと、従兄弟会のお話などをしてくださりました。

「従兄弟会」とは、その名のとおり「須子家従兄弟の会」です。うちの父は48で亡くなっているのですが、その父と母もまた40代で亡くなっています。父の父(私の祖父)が9人兄弟の末っ子だったことから、従兄弟が非常にたくさんいて、まだ歳若くして両親がいなくなってしまった父とその弟のために、「従兄弟会」というものを立ち上げたと聞いています。

わたしもこの「須子従兄弟会」に参加した記憶がうっすらありまして、「須子って珍しいだけに”従兄弟会”があるんだなあ、面白〜」と思っていたのですが、そんなドラマがあったなんて、とあとで驚いたのを覚えています。

父が亡くなってからもう25年。

私はまだ高校生で、父が一人の人間としていったいどういう人だったのか?未だにわからない部分も多いです。けれども、こうしてご縁のあった方からご連絡をいただいて、その人となりや印象などをお伺いすることができ、「人の人生はその人が死んだ時に終わるのではない。その人からご縁をいただいたすべての人の棺が閉じたときに終わるのだ」という言葉を思い出しました。

父が死んだ時、「あなたの中にお父さんは生きている」「お父さんの分も生きてね」みたいなことを言ってくる大人がいて(もちろん善意)、まだ子供だった私は「いやいや、そんなこと言ったって、死んだもんは死んだんだって。私がいくら生きてもお父さんの人生を代わりに生きることはできないでしょうに・・・お父さんがどれだけまだやりたいことあったか知らないくせに何を勝手なこと言ってんだ」とイラっとさせられたのですが、まぁ、実際には人の心や記憶の中に生きるというのはあるんだなぁとしみじみ思いました。

改めて。
自分が父の子であることを誇りに思う。

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